沿革

1947年、現代数寄屋建築で名高い京都の名工・木村清兵衛は、東京虎ノ門に大橋茶寮を建てました。日本の政治・経済の中心地に位置しながら、この茶室の露地には小川が流れ、街の喧騒を忘れさせる静謐の聖域となるべく設計され、高層ビルに囲まれながらも穏やかな空間を創り出している。戦後の東京における重要な数寄屋建築の複合建築のひとつとして、大橋茶寮は高い文化遺産価値を有しています。

かつて東京における
裏千家の拠点

戦後の米軍占領下、多くのホテルが接収されていた時代、淡々斎は東京に滞在中は大橋茶寮に逗留され、ここを拠点に裏千家茶道の出稽古を重ねました。およそ11年にわたり、茶寮は裏千家にとって東京における主要な稽古場として機能し、現代茶道史において欠かすことのできない足跡を残すこととなりました。

当時の庵主は、淡々斎を「温厚で、懐の深い、気品あるお方」であったと語ります。裏千家の伊藤宗典業躰は家元に寄り添い、東京一円の稽古体系を整え、その継承に尽力しました。また、書家・文化財官・詩人・茶人として知られる田山方南もしばしば足を運び、茶寮は文化交流の場として、いっそうの雅趣を深めていきました。

大橋茶寮の歴史

大橋茶寮の歴史
生きた歴史の痕跡

戦後の東京において、大橋宗輝によって創設された大橋茶寮は、芸術家であり美食家でもあった北大路魯山人から受けた影響を背景に、茶の湯に根ざした革新の精神を宿していました。その後を継いだ大橋宗乃が、その心を磨き上げ、茶寮を文化人や茶人が集う場として守り続けました。

現在は三代目・四代目がその歩みを受け継ぎ、1947年に始まった伝統は脈々と生き続けています。卓越した庵主たちの献身、日本を代表する文化人たちの長きにわたる交流によって、大橋茶寮は単なる茶室の領域を超え、伝統と現代を結ぶ「生きた架け橋」となりました。茶の湯の洗練された精神は、現代の茶道愛好家・数寄者たちを中心に、今も受け継がれています。